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韓国刺繍について

2007年7月7日(土)

「MY SOUL SEOUL 韓国」は引越ししました。

http://myseoul.web.infoseek.co.jp/index.html 


韓国刺繍の技法の数々

100%正しいとはいえないのですが、該当する日本刺繍の刺し方、フランス刺繍の刺し方も加えてます。

イウンスー

アウトラインステッチ、まつい縫い

隙間なくラインを描くようにさします。茎、線、筋などを表し、縁取りにも使用します。針目の長さで線の太さに変化をつけます。

チャリッスー

韓国の伝統刺繍だけにある技法。畳の目のような刺し方。

ピョンスー (大きい刺し方)

なりぬい、ぬいきり

幅広の面を隙間なく糸を指します。裏も同じようになってます。

トルリムスー (細い刺し方)

斜めぬいきり

幅が細いところを隙間なく斜めもしくはまっすぐに糸を刺していきます。

チャリョンスー

長短刺し縫い、乱れ刺し縫い、ロングアンドショート

最初に針目に長短をつけ、次に繍い跡の間に割り込み、重ねながら繍う方法です。色を変えたりして変化をつけるし、下に膨らましのソクスーをしてから刺すこともあります。

プルイプスー

先のとがった葉っぱを刺すときの刺し方

カルムスー イプスーとも言う

丸い葉を刺すときの刺し方。糸の色と太さを変えて刺してふくらみを出すときもあります。

ソルイプスー

松の葉の刺し方。丸く刺す刺し方もあります。

メドゥプスー

さがらぬい、フレンチナッツ

玉止めをする感覚で刺していきます。実や花などを表現します。シアッスーともいいます。

ヌキムスー

刺繍を刺した上から模様を刺します。感じたままに刺すのでヌキム(感じ)という。ほかの言い方もあります。

ムニスー

下に解いた糸で刺繍を差し上から押さえるように模様を作っていく。小判押さえ、ひったがけ、麻の葉がけ。韓国では七宝・三つ葉・シルク布と呼ばれる模様があります。

カルカルスー

糸の寄りを変えて糸を引っ張りたるみを作って刺します。木、稲など立体感を出す刺し方。

セットルスー  

キットルスーともいう。鳥の羽の刺し方。

チングムスー

引っ張りとじ、駒取り

日本からわたってきた技法といわれていて、太い糸を細い糸で押さえ込むようにすることです。縁取りや、金糸を刺すときはこの刺し方です。

クァンスー

菅縫い

細めの糸で、布の空間に一定の間隔で飛ばしながら刺し、陰などを表現するときなどに用います。

キィガプスー

亀や、器のひび割れなどを表現する刺し方。6画・7画・8画といろいろ作れます。

ソクスー ミッスーとも言う

肉入れぬい

刺繍をさす面に先に糸さし、ふくらませることをします。その刺繍のことを言います。

 


参考

韓国刺繍と日本刺繍の比較

福谷 夛雅子

「韓国古刺繍」によれば韓国と我が国に現存している。最も古い刺繍は紀元前一千年をさかのぼる、きわめて古い装飾技法である。その技法は、東の中国、西のエジプトにあっても古代以来ほとんど同一であり、このように刺繍の技法は世界的に普遍的なものということができよう。そこにみられる刺繍の文化的特色は、用いられる材質・デザイン、用途などに現れることになる。

韓国刺繍・日本刺繍は4〜5世紀頃、中国大陸から仏教文化とともに、伝来したと言われているが、現存する日本最古の刺繍は、国宝として奈良の中宮寺に伝わる「天寿国曼茶羅繍長」であるということは周知のことである。この刺繍製作には漢や高麗の名を冠した工人が加わっていたということから、その技法は中国や韓国方式であっただろうと言うことが考えられる。京都の勧修寺の「勧修寺繍帳」(釈迦如来説法図・現奈良国立博物館所蔵)は、その技法や表現などから、中国唐代の作とされている。

韓国において現存する最古の刺繍には14世紀頃の作品である。「四季盆景図」と呼ばれる国宝が韓国刺繍博物館に所蔵されている。「騎虎山神図」も同世紀の作品でありシャーマニズム(巫教)の信仰観念を表現したものである。その刺繍繍法は主に平繍で文様のぐるりは纏繍で縁取り、虎は金糸でくまどりがなされている。さらに同世紀の18〜19世紀頃の仏教刺繍として「袈裟」「如来座布団」「陀羅尼嚢」「幡」「如来像」などがあり、その繍法は畳文繍である朝鮮(李朝)時代後期の作品である。「華衣」「華代」「刺繍寿紋寝帳」など繍法の刺し繍が主でありさらに文様・色彩など見事な作品である。


www.lifeinkorea.com/culture/ embro/embroj.cfm?Subject=History より

歴史

韓国人は非常に古くから刺繍を使ってきたと推定していますが、不幸にその歴史的な記録は多くはありません。 中国の歴史書である三国志 の扶余伝 に扶余 の人たちが絵綿繍などの燦爛な絹の着物を着たという記録があり、 高句麗伝には高句麗 の官人たちは公事の集まりには絹の着物を着、金銀で装飾したと書かれています。

韓国の歴史書である三国史記 ( 三国時代について書いた歴史書)には百済の風習についての説明中、第28代古爾王(234-286)の治世の時の官僚たちは5月初の吉日に袖の広い臙脂の袍(上衣)と青い袴(ズボン)を着、金色の花と鳥などを刺繍した帽子をかぶり、皮革の帯と靴を履いて 朝礼に参加したと書かれています。 新羅 もすでにソジ王の治世の時、錦繍色絹が民間で使用されたという記録もあります。 やはり三国史記 に新羅の真徳女王が即位して自ら作った泰平歌を絹に刺繍して中国の唐王朝の皇帝に贈ったと言われる記録は周知の通りであります。 古代韓国では仏教文化の全盛と共に刺繍が如何に盛んであったかは繍仏の製作を禁ずる哀荘王7年"禁以錦繍為仏事"の記録から見てもわかります

三国時代の刺繍は布地には綾羅平絹を、繍糸は平糸、合糸、撚糸を使いました。 世紀886年統一新羅の憲康王がなくなった時、その妃が出家して尼になった後、絵と刺繍の名人である圓海に命じて憲康王の 肖像画を作らせたのが伝えられ、現在名前が知られている唯一の統一新羅の刺繍であります。

新羅に次いで高麗時代になると刺繍はますます盛行し、文献に見られる記録も豊富で服飾の外、色々な装飾品に刺繍が多く使われぜいたくを 助長するということから幾度も国法で禁止した例も見られます。 高麗図経 の官服条には王の冕服には章紋を刺繍したと記録もあり、仗衛には軍服に関し、五大軍左右衛将軍は腰に刺繍した帯を垂れ下げたと記されています。 服装以外にも高麗図経の軍馬条には王が乗る馬の鞍には繍皮を被せ更に鞍の後には刺繍をした繍茵を敷き、その布は綾羅を使い金で加飾し、 国官大臣の馬安具は刺繍した紫羅で作り銀飾したと記録されています。 高麗史世家恭愍王条を見れば王及び姫が大妃と共に奉恩寺に行って、普愚大師の説法を聞いた後、弊帛、銀、繍袈裟などその施主が山ほど 積まれたという記録から推して繍座布団、繍帳の供養に到るまで多様であったのを知ることができます。

繍図については高麗図経 供張にある繍図を見れば赤地に山、花、戯獣を精巧に刺繍したり、又は花鳥、動物、果実類などを刺繍しました。 現在韓国に残っている高麗の刺繍は仙厳寺にある大覚国師 の袈裟が唯一の作品であります。 袈裟にある刺繍文字の書体が高麗図経の書体と 一致していることがわかります。 韓国刺繍博物館所蔵の四季盆景繍の4幅屏風が高麗時代のものと知られており、その外、数点は宝物に指定されています。

朝鮮時代の刺繍も初期は上流階級に限って使われていたのでその遺物が多くはありません。 朝鮮時代の太宗15年の治世の時、 完成した仏経のおくるみを柳謹の妻が亡夫のため7枚を作り、来蘇寺に奉納しました。 今では宝物第278号に指定され、全州道立博物館に所蔵されています。 朝鮮初期の作品でありますが仏経は高麗時代に流行った方法で作られ、字体や表紙の作り方などは高麗様式を内包している非常に秀れた作品であります。

特に手工芸のような伝統芸術が衰えつつある今日、昔の祖先たちが使った伝統のやり方をそのまま再現するということは易しくはありません。日本占領時期(1910-1945)の韓国刺繍はそれまで事実的な色相を主にしたやり方から薄い色相を 使うことになり、独立後、社会全般の西欧化の影響で伝統手工芸はほとんどその姿を隠すようになりました。 1974年10人の作家たちが全国の仏教寺刹や個人展示会の作品などを集め“朝鮮時代の刺繍”を発刊した時期から一般の人々に 韓国伝統刺繍が知られるようになったきっかけとなり、この時期から伝統刺繍を保存しようという動きが生じました

1984年最初に重要無形文化財に指定された韓尚洙先生やもう一人の重要無形文化財 である崔維賢先生が活動しており、 刺繍名匠として1999年に指定された金奈美先生のほか3人の刺繍明匠が韓国伝統刺繍のため活動しています。


http://www.lifeinkorea.com/culture/embro/embroj.cfm?Subject=Styles より

様式

朝鮮時代の刺繍は大きく二つに分けられ、一つは宮繍 (王宮の刺繍)であり、もう一つは民繍 (百姓の刺繍)です。 韓国国立博物館には二点の作品があり、仁顕王后の作品や宣祖王の娘である貞明公主の作品がそれです。昌徳宮に所蔵されている文字を刺繍した屏風は明星王后の作だと推定しています

王宮では刺繍の需要が多かったほど 十長生や漢文時調、エピグラムなどを刺繍した屏風から行事服、繍帳などの装飾布、文箱、ノリゲ (女性のチョゴリの結び紐の先端などに つける装飾品)などのデザインや種類もたくさんありました

刺繍する布は色々な花や薬草から搾り取った色素で染め、また必要な他の色で染めます。 さらに、色々の糸はまた彩度により暗くも明るくも染め、 独自の色を演出するため二本以上の糸を合わせて刺繍することもあります。 宮中刺繍の色相はシンプルで美的な感覚がある特徴を持っており、 瀑布や波模様などの縁には金糸で刺繍しました。 たいていの宮中刺繍の場合は、画家が下絵を描くと染色専門家が布や糸を染め、刺繍専門家が 刺繍をするという三つの過程を経ることになっています。 できあがった作品からは高度の精製した美しさや上品さが感じられます。

伝統刺繍の主なデザインや模様は雲、波、山と瀑布、蓮の花、芍薬、四君子 (梅、蘭、菊、竹)、故事成語や漢詩、亀、鹿、アヒル、虎、ウサギなどです。 屏風に刺繍したものは調度品に刺繍したものよりずっと精巧で芸術性があり、それほど力を注ぎました。 さらに、宮中で官服の胸と背につけた刺繍(胸背)の模様はそれぞれの官職の地位を表し、調度品には主に十長生や七宝模様を使いました。


韓国刺繍について 歴史など深く知りたい場合は、現在ではこれしかありません。

絲田刺繍博物館より出版された 「イロッケチョウンチャス」

日本語で言うと「こんな良い刺繍」

 

ずっと以前から、どうしても腑に落ちないことがありました。18世紀までの韓国の刺繍はきれいだなと思うものがありました。が19世紀のものを見ると、糸も太くなり、色も派手な色になりすぎてどうも落ち着かない刺繍になっていて、技術も繊細さがなくて、こんなものしかないのかと不思議でした。韓国人に混じって刺繍をしてますが、うまい方が多いし、繊細な刺繍がさせないという方たちではないので、どうして19世紀からこんなに韓国刺繍がひどくなったのかと????マークになりました。それに、残されている刺繍の遺物が少なすぎるように感じます。なんでなんだろうってそれでちょっと本当にちょっとだけ勉強してみました。

  こちらが18世紀の刺繍。

  こちらが19世紀の刺繍。

「イロッケチョウンチャス」より

朝鮮時代後期には社会体制が烈しい動揺と変化によって刺繍の品質が著しく落ちてしまった。織物の織造と染色が粗雑になり、刺繍法にも丁寧さと時間をかけていないなど刺繍品自体が混乱状態に陥ってしまった。刺繍糸も1本が太く、たるんだ糸をゆるくよった糸が、それまで使われていたきっちりとよった糸に代わって使われるようになった。すると強度と弾力が弱いため、刺繍をしても張りがなくなり、毛糸のような感じになった。また、この糸では針が太くなり、精密な描写ができず幅の広い刺繍の図案になり、早くし上がり適当な味しか出なくなった。糸の欠点は糸がたるんだままよっているので、糸に艶がなく解けやすかった。それで、補助の糸として使っていた金糸、銀糸がたくさん使われるようになった。ただし価格が高いので、宮中・貴族用の刺繍に使われた。補にはおもに金糸だけで刺した。

それで、龍補や方背は金糸だけで刺されたものが多い。技法も韓国の伝統刺繍にはなかったチングムスで刺されていて、日本刺繍の技法が使用されている。

19世紀から刺繍糸の質が悪くなっとと考えられます。それでその当時社会体制とは?

李氏朝鮮王統年表

純祖 1800-1834
憲宗 1834-1849
哲宗 1849-1863
高宗 1863-1907
純宗 1907-1910

純祖即位からの外戚安東金氏の勢道政治。「勢道政治」とは、簡単にいうと、権力を握った”一族”が国政を欲しいままにする政治である。

この勢道政治によって文化の発展にストップがかかったのではないかと思います。また、1811年に朝鮮通信使が中断されているので日本との文化交流も絶たれていた。

売官売職は公然化し、賄賂・陰謀が横行、科挙(人材登用のための国家試験)試験場は官職売買の市場と化し、そのため中央・地方官僚に簡単な実務さえ知らない者が多く、その手合いは権力で民衆を脅し、罪を着せては拷問し、財産を搾取する者が多かった。

18世紀後半から、金のある常民(良民。 日本で言う平民、庶民)は郷班(地方の両班)から族譜(系図)を買って両班に偽装したり、奴婢は逃亡したり、または自分の奴婢文書を焼くか、あるいは金で買ったりして常民に上がったり、その頻度は李朝後期から末期にかけて増加の一方で、従来の秩序ある身分制度は崩壊寸前であった。それでも20万人台の漢城の人口の7割は奴婢だったと言う。国王の外戚や地方官の搾取で苦しむ農民の民乱(反乱。 日本でいう一揆)も、1862年の晋州民乱以後、全国に急増し、悪政に苦しむ人々の間には禁書「鄭鑑録」(李朝滅亡の予言書)も流布し、これを信じる農民も多かった。集団で火賊(盗賊)・水賊(海賊)となり、地方官衙(官庁・役所)・収税倉・富豪を襲い、または放火するのも(=農民闘争の一形態)、後にキリスト教徒や東学教徒が急増したのも、中央・地方政治の腐敗の余りの酷さが物語っている。

このような内乱によって貴族(両班)の家にあった手工芸品が焼かれ、遺物がなくなってしまったのではないかとも考えられます。韓国人に聞いたところ、保管状態が悪く腐ったりしたものも多かったそうです。(壬申の乱のときに宮中が焼かれたので宮中の遺物がなくなってしまったといわれてます。)

そして19世紀末には開国を数多く求められ、諸外国とのかかわりがあり、西欧の文化が少しづつ入ったのではないかと思われます。技術者を育てるだけの余裕が社会全体になくなり、韓国の伝統の手工芸は衰退の一途をたどっていったのではないかと思われます。


韓国刺繍の写真

こちらのHPに刺繍の写真が掲載されてます。(絲田刺繍博物館)

四界盆景図など

http://www.gms.pe.kr/jasu/byongpoong.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp1.htm

花鳥図

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp8.htm

盧雁図

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp9.htm

耕織図

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp11.htm

冊架図

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp12.htm

吉祥図

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp13.htm

白寿長福図

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp14.htm

九雲夢図

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp15.htm

萬人傘

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp2.htm

萬人繍帖

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp3.htm

百童子図

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp4.htm

胡猟図

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp5.htm

神仙図

http://www.bojagii.com/images/emb/byung/em_bp6.htm

龍補

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g1.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g2.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g3.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g11.htm

胸背

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g4.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g5.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g6.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g7.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g9.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g10.htm

方背

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g8.htm

腕帯

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g12.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/gung/em_g14.htm

繍箱

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf2.htm

めがね入れ (アンギョンジプ)

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf3.htm

靴下、花繍靴 (ボソン、コッシン)

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf4.htm

宮中座布団

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf5.htm

ベゲモ

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf6.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf11.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf19.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf26.htm

ボタン

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf7.htm

チュモニ

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf8.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf15.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf17.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf22.htm

ノリゲ

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf9.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf10.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf14.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf16.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf20.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf25.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf27.htm

ブッチュモニ(筆入れ)

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf23.htm

バヌルジプ(針入れ)

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf12.htm

スジョジプ(スッカラ・チョッカラ入れ)

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf13.htm

http://www.bojagii.com/images/emb/life/em_lf24.htm

賢愚經

http://www.bojagii.com/images/emb/budda/em_bd1.htm

大禮服

http://www.bojagii.com/images/emb/cloth/em_cl1.htm

ファロ

http://www.bojagii.com/images/emb/cloth/em_cl4.htm

屏風・衣服

http://www.lifeinkorea.com/culture/embro/embroj.cfm?Subject=Gallery

胸背・風呂敷・箱

http://www.lifeinkorea.com/culture/embro/embroj.cfm?Subject=Gallery2

小物など

http://www.lifeinkorea.com/culture/embro/embroj.cfm?Subject=Gallery3


宮繍とは? もう少し違う視野から見てみましょう!宮繍を作った女性たち

韓国 朝鮮時代(李氏朝鮮)宮女たちの任務

簡単にまとめてみました。

順序は階級順

1、至密 − 秘書のような役割

2、繍房 − 宮中で所用する服飾または装飾品に刺繍を刺す

3、針房 − 王や王妃の衣服や枕やヌビ、王宮で所用する各種衣服を作る

4、洗水間 − 王や王妃の洗顔、お風呂、トイレなどの世話係

5、焼廚房 − 食事のお世話をする

6、生果房 − デザート・茶菓の世話をする

7、洗踏房 − 洗濯をする

8、僕伊處 − 燈火をつける

9、退膳間 − 配膳係、火炉の管理

トチョン内人

針房・繍房などを言った。内人は刺繍を刺したり、絵を描いたり、筆も上手かった。トチョン内人はいつも人員が不足して随時選出した。大体7、8歳で連れてきて技術育成をし、ほかのところは12、13歳で入宮させた。針房・繍房は至密の次に知られた優雅で慎ましやかなところだった。選出するとき一番大事な条件は、先祖が謀反を犯し烙印を押された家は許されず、また、近所に悪い病気を持った人がいないこと。ほかに面接のようなことがあり、推薦をされたらその場の責任者の尚宮と色掌内人が出かけて対面して決定した。

宮中に入る前に衣次で明紬1反を貰い受ける。韓服のチョゴリは黄色、チマは青、白ズボンを着てかごに乗って宮中入りする。トチョン内人は高宗(1863-1907)33年まで選出された。内人の服装は王妃が着る黄色いチョゴリは禁止され、ピンクのチョゴリを着せられた。娘が内人に決まり入宮が決まると、洗濯・針仕事は実家でやりのけておく。冠礼して家事を教え花嫁修業まで支度しておくので貧しい家では嫁に出すより経済的にもつらかった。

「韓国飲食大鑑より」抜き出したものですが、洗水間・焼廚房・生果房・洗踏房は處所内人と呼ばれ、別に隔てなく簡単に入れるところで身分の低いものも入ることができた。とも書かれており、繍房・針房の内人たちがそれなりの教育を受けたものだけが入る特別なところだと想像できます。メドゥプ(結び)がどこの房なのかがわからないのでまた調べる課題です。宮中の刺繍や韓服が一般の物とははるかに差があるので、育成されていたというのは作品からも良くわかります。


ベゲモの刺繍(枕の両端に刺繍を入れた)

韓国の刺繍のアイテムで独特だと感じたのがベゲモです。

アジアの枕について インターネットで調べてみました。

http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr99/ys/03.html より

眠り文化の研究  須永 有紀子さんの卒論から抜粋

枕・寝具

 枕は、世界の各地域によって形から柄、枕に関する俗信に至るまで様々な特徴があり、大変バリエーションに富んでいる。人々の枕に対する思い入れの強さも、他の寝具に比べてそれだけ強いものがあると思われる。そこで、寝具の中でもまず最初に枕について掘り下げてみたい。その次に、枕以外の寝具に関する俗信について触れたいと思う。

枕に描かれた動植物

 日本では枕に獏が描かれることが多かったが、他の国々ではどうだろうか。まず、日本に多大な影響をもたらした中国について見ていきたい。

 中国の枕に描かれる客体を大別すると、獰猛なものとやさしいもの、つまり魔除け的な図柄と純情可憐な安らぎのための図柄とに分けられる。動物ではアヒル、オシドリ、獅子、虎、龍、熊などがあり、植物では牡丹や唐草が最も多く、ついで蓮、竹、桃といったものがある。蓮池に遊ぶ水鳥や、花園で花の1枚をくわえている鹿や羊の絵などは、安らかな眠りを与える感じを受けるし、特にオシドリの図柄は鴛鴦の枕といって夫婦仲の睦まじいことを表す図柄である。それに比べ熊や獅子、虎などは邪悪を祓う呪具的な枕で、これが日本の獏枕につながるものと思われる。

 何らかの願いを込めて作られた特徴的な枕もある。中国では夢に熊やヒグマを見るのは男子出生の瑞祥とされ、熊羆(ゆうひ)の士というと、勇敢な人のことをいった。元気な男の子を授けてもらえるように祈って、枕には熊の絵が描かれた。かわいい唐子や美人図が描かれた枕もあるが、これは女の子が欲しいという願いを込めた枕であると思われる。

 その他、蝙蝠(コウモリ)の絵も枕に描かれたが、これは現代の製品にもある。コウモリが夜行性であることから、闇夜に忍び寄る悪霊を守るとする俗信があり、さらに中国語では蝙蝠(ビエンフー)の「蝠」は「福(フー)」に通じるので幸福を呼ぶ動物とされてきた。もし欧米でこんなコウモリの絵柄の枕を出したら、コウモリは吸血鬼バンパイアやドラキュラの使いとされているから、私を寝ているうちに殺すつもりかと一悶着あるかもしれない。両者は非常に対照的である。

 植物では、枕に菊の花を詰めた「菊枕」がある。古代中国では菊に病気や邪気を祓う呪力があるとし、枕に菊を入れて眠ると邪気が祓われ、頭もすがすがしく保たれると信じられていた。菊枕は菊の花を集めて干して枕の詰め物にしたものを言うが、これには大量の菊の花が必要となる。そこで菊の花を描いた枕も、縁起の良い枕とされた。

 韓国にはアヒルの枕がある。これは近年は置物とされているようであるが、韓国では結婚にあたり、新郎が自分で木製のアヒル(チッオリー)の一羽を作り、これを新婦を迎えに行った際に手渡す習慣がある。新婦はそれを枕にしてその夜から寝る。これはこのアヒルのように家から離れず私と共にという夫婦の愛の象徴だと思われる。子供ができた後には部屋の棚において大切な飾りにするという。

余談ですがポジャギでこのアヒルを包む キロギポ というものがあります。

 日本には花柄の枕が古くからある。鶴や亀、菊のデザインも、長寿にあやかる図柄として江戸期から明治期の枕に多くある。日本人の好みとしては、鶴や梅、桜、菊、松などのどれかをあっさりと図案化したものが好まれた。現代日本人も、淡い色の無地か、あっさりとした模様を選ぶ人が多いように思われる。

 スウェーデンでは、母親や愛する人が心をこめて刺繍した白いクッション枕が好まれ、インドではビーズ刺繍、朝鮮では、黒や濃いピンクの花模様や「寿・福」などを刺繍したもの、または原色のパッチワークが好まれる。このように枕の模様やデザインも、それぞれの国の歴史や風土、生活様式によって嗜好が異なっている。

「寿」

「福」

寿は長寿、福は幸いを意味します。

ベゲモをつけてベゲ(枕)を作ろうと思っていろいろ調べてみました。

「ベゲモ」という本が出版されていますし、ソウルの仁寺洞の「ポムルチャッキ」というお店に昔のベゲモがたくさんあります。それを見ると、表側の生地と内側の生地があって、表側はシルク・内側はムミョン(綿)で、2重にしたままの状態で刺繍が刺されているもの。表側はシルクで1枚だけに刺繍をして、内側に韓紙とクヮンモク(シーチング)を重ねて糊でつけたものを縫い付けてあるもの、内側を画用紙のような硬い紙をつけているもの、1cmぐらいの厚みの木板を刺繍をしたものより5mmぐらい大きめにカットして、それを刺繍したものの後ろに引っ付けたもの、ベゲモに枠をつけ、その枠が金属のもの、木製のものとがあります。頭をのせる枕の部分はほとんど綿素材で作られています。ベゲモを枕とつなげるとき、ひだをとり、横から見ると1cmぐらい枕の生地が横にかぶるようにつけられています。枕の色とベゲモの生地色が違うほうが美しく見えます。

ベゲについて

普通小豆・緑豆などの穀食やもみガラ・そばガラなどを中に入れて作るが、木・竹・陶器などで作ったものもある。

韓国での枕の使用は、百済武寧王妃棺の中から木枕が発見されたところから、非常に古いと思われる。この木枕は丸太を滑らかにして、長い一辺の中心部分を掘りだして切りやすくして全面には朱色の漆を塗った上に金箔を細工して亀甲紋を刻んで、その中に蓮花文様などさまざまな柄を刻んだ。高麗時代の遺物は青磁象眼の雲鶴牡丹文枕があり、中が空になっていて両端には丸い穴があいていた。また《高麗図経》に 繍枕の形態に対して白いモシで袋を作ってその中を香草で満たして両端は糸で花を刺繍したが、柄が非常に精巧で赤い絹で飾ったのが蓮の花びらのようだと説明している。

朝鮮時代の枕は記録で見ても今日の物と別に大差がないが、 材質によって繍枕・引き出しのついた枕・木枕・陶枕・穀枕・綿枕などがある。この外にベゲモの柄にしたがって九鳳枕 ・鶴枕・虎枕・木蓮枕・蓮花枕・寿福枕などがある。これは女性たちの理想と望むことを形象化して刺繍したもので、文字は寿 などがたくさん書かれ、卍字模様亜字模様もたくさん使う。ベゲモは男物は主に四角く、女物は丸い。

枕の素材や形態によって以上のように分けられる。

九鳳枕:一般家庭で使う枕として新婚時の夫婦が使う。ベゲモには一対の鳳と7匹の子鳳を刺繍して、夫婦が琴瑟相変わらず子宝に恵まれ栄えなさいという意味。

*引き出し枕:木を箱形に組んで引き出しを組みこんだ木枕の一つで、かんざしや櫛などの化粧用具を入れて置く。

*木枕:夏に主に庶民層で愛用し、上流社で使われていたものは細工がすぐれた芸術作品が多かった。

*陶枕:磁器で作ったもので頭を冷やすために書斎でちょっと休む時に使われ、ベゲモに布切れや絵を入れて飾った。

*綿枕:長い四角形の小さな蒲団(蒲で編んだ座布団)を何枚ずつか重ねて作ったもの。

*穀枕:丸くて長い袋の中に米殻を入れたもので刺繍したベゲモで美しく飾った。

*コル枕(区切りのある枕):6〜8に均等に区切りをつくり、一つづつ区切りに刺繍して中には殻を入れて枕カバーをかぶせる。

*石枕:瓷石が含まれ、老けていくと目を明るくしてくれると言う。

*菊枕:菊の花びらを乾かしたものを枕の中に入れたもので頭と目が澄んでくると言う。

*決明子枕:中に決明子が入り、目が明るくなると言う。

*緑豆枕:中に緑豆が入り、頭が凉しくなって風が消えて目が明るくなると言って、特に子供に良いと言う。

*竹夫人:竹の枝で編んで枕に似させて作り、夏に一重布団の中に入れて寝ると暑けを冷ましてくれると言う。

今日の枕は布で作った丸枕と長い角型枕が一番多くて、婚礼用には 2人用の長い枕と 1人用の枕を奇数で準備して、夏には竹枕 ・ゴム枕などをたまに使い、枕の中はもみがら・そばガラ・羽毛・スポンジ・粟(赤んぼう用の枕) などを使う. 特に子供向けではおもちゃを兼ねるようにさまざまな動物模様で作ってベッド使用による特殊な枕もある。

ベゲモの柄

寿

白川静 常用字解より

・祖先を祭る廟の屋根の形に従うから元は神への供えものが多いことをいう字であろう。

・貝(貝は当時お金でした)を両手で捧げ持つ形で貴重なものとして扱うという意味

寿・人の長寿を祈る。

・神前に酒樽を備えて祭り幸いを求めること、神の助け。

・神を楽しませ、喜ばせるために太鼓を打って祈るの意味であった。

・両手で杵を持って穀物を脱穀・精米する意味。やすらか。

・廟の中で犠牲(いけにえ)にしたものの心臓を供えて、寧静、安寧を願って行う儀礼。

卍字について  ウィキペディア(Wikipedia)より

まんじ)とは、サンスクリット語でスヴァスティカ)または(シュリーヴァトゥサ)と呼ばれ仏教で用いられる、吉祥の印である。左卍と右マンジがあり日本では左卍が多く用いられている。韓国でも左卍です。

右マンジについてはナチのシンボルマーク(いわゆる鉤十字、ハーケンクロイツ)と同じ形をしている。このため、欧米ではナチのシンボルとして誤解されることが多い。しかし、日本を含む世界の各地では、卍はナチとは無関係であり、現在も多用されている。

東洋の卍は、宗教との結びつきが深い。卍の由来は諸説ありヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の胸の旋毛(つむじ)、仏教では釈迦の胸の瑞相が由来で、左旋回の卍は「和」の元といわれ、右旋回のマンジは、「力」の元といわれる。名前の「まんじ」が暗示するように、「万」の元ともいわれる。

中国には仏典を通して伝わったが、音訳で「室利靺蹉」、意訳で「吉祥喜旋」「吉祥海雲」などと漢訳された。鳩摩羅什や玄奘はこれを「徳」で訳したが、北魏の菩提流支は『十地経論』のなかで「万(萬)」で訳している。武則天の長寿2年(693年)、「卍」字を「万(呉音:マン;漢音:バン;ピンイン:wàn)」と読むことが定められた。意味は「吉祥万徳の集まる所」である。これにより「卍」が漢字として使われることにもなったが、熟語(卍巴・卍果など)は少ない。日本語でいう「まんじ」とは正確には「卍字」なのである。ヨーロッパの卍は、十字架の表記のひとつである。

亜字について

亜の字がなぜ使われたのかわからないのですが、韓国には亜房があり、オンドルの床の構造が亜の字模様になっている。これはお坊様が座禅を組むときに禅房(座禅部屋)として使われ、面と向き合うことなく座禅できるような構造で、お坊様は各自壁に向いて座禅をしていたそうです。亜字房に一度火をたけば49日間ぬくもりが残っているそうで、禅寺の代表的な建築形態といわれています。

「敬天寺十層石塔」は3段になった基壇は上から見ると亜字の模様になっているそうです。

白川静 常用字解より

【亜】の字の元は、王侯貴族の墓所の平面図で、四隅を方形にくり取った形との事。何故に四隅を切り取るかは、古来より四隅には悪しきモノが涌くと考えられていた為。死者の埋葬等の霊に対する儀式を執り行う者を亜という。中国古代の有力氏族には亜の職(亜職)についてる人々がいて、其の人々は、四隅をくり取った正方形の図の中に、その氏族名を記した図を紋章の様に使用していた。亜職の人は族長につぐ第二番目の存在であった為、【亜】の字は【次ぐ者】・【二番目】の意味ももつ事になった。


(まだまだ続きます)



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